「申し送りで伝えたはずなのに、伝わっていなかった」。医療・介護・福祉のどの現場でも、一度は耳にする言葉ではないでしょうか。言った側には記憶があり、受けた側には記憶がない。どちらかが嘘をついているわけではなく、多くの場合、情報が「発信された」ことと「受け手の行動を変えた」ことの間にズレが生じています。
本記事では、申し送りという行為を「送る側の努力」ではなく「仕組み」として捉え直します。伝達が切れやすい3つの場面を整理したうえで、AIを含むツールで補える部分と、補えない部分を分けて考えます。なお、本記事は特定の施設や製品の評価を目的としたものではなく、個別の医療判断・ケア判断を示すものでもありません。
「伝えた」と「伝わった」は別の出来事である
ノンテクニカルスキル(技術そのものではなく、状況認識・意思決定・チーム連携・コミュニケーションなど、業務を支える非技術的な能力)の領域では、コミュニケーションは「送信」ではなく「共有」と定義されます。送り手が口にした時点では情報は成立せず、受け手が内容を理解し、必要なら行動を変えたときにはじめて成立する、という考え方です。
この視点に立つと、「伝えたはず」という言葉自体が、すでに送信側だけの視点に寄っていることが分かります。責めたいのではありません。多忙な交代時刻に、送信の完了をもって区切りをつけたくなるのは自然な反応です。だからこそ、個人の注意力ではなく、場面ごとの構造として対策を考える必要があります。
医療安全の領域では、チーム内コミュニケーションの型としてSBAR(Situation:状況、Background:背景、Assessment:評価、Recommendation:提案)がよく知られています。また、チームとしての安全行動を体系化したTeamSTEPPSという枠組みも、国内の研修で紹介されることがあります。いずれも「伝え方を個人の裁量に任せない」という発想を共有しています。
場面1:交代の瞬間 — 時間が足りず、優先順位が崩れる
一つ目は、勤務交代時です。夜勤から日勤へ、あるいは早番から遅番へと切り替わる数分から十数分に、多数の利用者・患者の情報が流れます。ここで起きやすいのは、情報の欠落よりもむしろ優先順位の平板化です。
たとえば次のような場面を想像してください。15人分の申し送りを順に読み上げるなかで、「今夜から新しく始まった処置」と「変化なし」が同じトーンで並ぶ。受け手は全部を同じ重みで聞き、結果としてどれも記憶に残らない。これは仮の例ですが、構造としては珍しくない形です。
対策としては、次のような整理が考えられます。
- 「変わったこと」を先に、「変わらないこと」を後に並べる順序を固定する
- 申し送りの冒頭で「今日の最重要は誰か」を1〜2件だけ宣言する
- 受け手が復唱・確認する時間を、省略せず手順に組み込む
特に三つ目の復唱(リードバック)は、口頭指示の確認手段として医療安全の基本に位置づけられています。時間がないときほど省かれますが、省いた瞬間に「伝えたはず」が生まれます。
場面2:職種をまたぐとき — 同じ言葉が違う意味になる
二つ目は、職種間の伝達です。看護職、介護職、リハビリ専門職、相談員、管理栄養士、事務。それぞれが持つ関心と語彙は同じではありません。
たとえば「食事が進まない」という一文は、介護職にとっては介助方法の問題、看護職にとっては体調変化の兆候、管理栄養士にとっては形態や嗜好の問題として読まれる可能性があります。どれも誤りではありませんが、受け手が自分の専門領域の文脈で解釈した時点で、送り手の意図とは別の情報になっていることがあります。
ここでは、観察した事実と、解釈・判断を分けて書くことが有効です。「食事が進まない」ではなく「主食3割、副食2割。昨日は全量摂取」と書けば、解釈は受け手に委ねられつつ、事実の共有は崩れません。
| 伝え方 | 内容 | 起きやすいこと |
|---|---|---|
| 解釈のみ | 「調子が悪そう」 | 受け手ごとに想像が分かれる |
| 事実のみ | 「主食3割、発語少なめ」 | 共有は正確だが緊急度が伝わりにくい |
| 事実+解釈+提案 | 「主食3割。昨日は全量。普段と違うため、日中の様子観察を厚めにお願いしたい」 | 受け手の行動につながりやすい |
三段目の形が、先に挙げたSBARの考え方に近いものです。全件でこの形式を徹底するのは現実的ではありませんが、懸念がある事例に限って型を使うという運用なら負担を抑えられます。
場面3:記録と口頭が分かれるとき — 「どちらに書いたか」問題
三つ目は、口頭の申し送りと記録システムが別々に動いている場面です。口頭で伝えたが記録に残っていない、記録には書いたが誰も読んでいない。どちらも「伝達が切れた」状態です。
特に、記録の入力先が複数ある施設では、同じ出来事が別々の場所に分散しがちです。介護記録システム、連絡ノート、ホワイトボード、個人のメモ。情報が多層化すると、どこを見れば最新かが分からなくなります。
整理の観点としては、次のような切り分けが考えられます。
- 一次情報の置き場所を一つに決める(他は参照用と位置づける)
- 口頭で伝えた内容は、原則として記録側にも短く残す
- 「読んだかどうか」を確認できる仕組み(既読の印、朝礼での口頭確認など)を持つ
なお、記録の保存期間や取り扱いについては、医療分野では医療法・医師法などの関係法令、介護分野では介護保険法および各自治体の運営基準に定めがあります。施設ごとに適用される基準が異なるため、具体的な年限や様式は所管の基準をご確認ください。
AIで補える部分と、補えない部分を分ける
近年、音声入力による記録支援、文章の要約、記録テンプレートの自動生成といった機能が、介護記録システムや電子カルテの周辺で紹介されるようになりました。申し送りの負担軽減を期待する声は現場にもあります。
ただし、導入を検討する際は「何が補えて、何が補えないか」を分けておく必要があります。
| 観点 | ツールが補いやすい | 人が担い続ける |
|---|---|---|
| 入力 | 音声からの文字起こし、定型文の呼び出し | 何を記録に残すかの選択 |
| 整理 | 長文の要約、キーワードの抽出 | 要約が元の意図とずれていないかの確認 |
| 検索 | 過去記録の横断検索 | 検索結果をどう解釈するか |
| 判断 | (対象外と考えるべき領域) | 利用者・患者への対応方針の決定 |
要約機能は便利ですが、要約とは情報を削る処理です。削られた部分に重要な変化が含まれていないかは、人が見る前提で運用を組む必要があります。生成AIの出力には事実と異なる内容が含まれうることも、広く指摘されています。
また、個人情報の取り扱いは必ず事前に整理してください。医療・介護の記録は、個人情報の保護に関する法律における要配慮個人情報に該当しうる情報を含みます。加えて、医療分野では医療・介護関係事業者における個人情報の適切な取扱いのためのガイダンス、クラウド利用に際しては医療情報システムの安全管理に関するガイドラインが参照されます。外部サービスに音声やテキストを送信する構成をとる場合、データの保存先、学習利用の有無、委託先管理の責任範囲を契約書面で確認することが前提になります。
ツールの導入によって「負担が必ず減る」「ミスがなくなる」といった断定は避けるべきです。効果は運用設計と教育の在り方に左右されるため、小規模な試行から始め、現場の声を踏まえて調整していく進め方が現実的でしょう。
まとめ:申し送りは個人の技量ではなく、チームの設計
「伝えたはず」が生まれる場面は、大きく次の3つに整理できます。
- 交代の瞬間:時間的制約で優先順位が平板化する
- 職種をまたぐとき:同じ言葉が異なる文脈で解釈される
- 記録と口頭が分かれるとき:情報の所在が分散する
いずれも、送り手の注意力を高めるだけでは解決しにくい構造的な問題です。順序を固定する、事実と解釈を分ける、一次情報の置き場所を一つに決める。こうした小さな取り決めの積み重ねが、個人の記憶力に依存しない伝達をつくります。
AIを含むツールは、入力や検索の負担を軽くする余地を持っています。一方で、何を伝えるべきかの判断、要約のずれを見抜く目、そしてチーム内の信頼関係は、引き続き人が担う領域です。まずは自施設の申し送りがどの場面で切れやすいかを、現場の職員同士で言語化してみるところから始めてみてはいかがでしょうか。